いぶり自然学校

苫小牧にある小さな小さな自然学校。
胆振という素敵なまちと、自然と人を結びつけます。

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いぶり自然学校の歴史

2016年

 これまでいぶり自然学校の活動を支えてくれていた山田由美子が卒業し、星山侑佳・井上亜紀代がスタッフとして加わる。
 第4回狩猟サミット事務局長や第12回森のようちえん全国交流フォーラムin北海道実行委員長など、大きなフォーラムの運営を任され、全国にわたる実践者と交流を促す一方、苫小牧市植苗にある「イコロの森」に活動拠点を設置したり、事務所を日吉町から泉町に移すなど、ハード整備を積極的に進める。

2015年

 5年に渡って続けられたふくしまキッズが終了し、フェアウェルパーティーでは全国から900人以上の動員に関わる。
 「環千歳空港子どもグリーン・ツーリズム推進協議会」「イコロの森を育てる会」など、地域資源をツーリズム素材へと変換させる団体の活動をスタートさせる。
 4月23日にNPO法人として登記され、事業型NPO法人として独立する。

2014年

 大樹町地域おこし協力隊研修事業を受託する。和みの森における修学旅行受け入れが600人を超え、100人以上のボランティアをコーディネートする。
 CONEトレーナーの資格を獲得し、各地でCONEリーダーの育成プログラムを展開する。くにたち森のようちえん「谷保のそらっこ」の受け入れが始まり、全国でも珍しい「旅する森のようちえん」モデルを構築する。

2013年

 むかわ町の地域おこし協力隊研修事業を受託することをきっかけに、小中学校の農家民泊コーディネートが始まる。
 「東胆振子どもグリーンツーリズム推進連合会」を発足させ、農林水産省「都市農村共生・対流総合対策交付金」の採択を受ける。
 環境相が主催する「ESD KIDS FES!!!」に参加し、苫東・和みの森の活動に集まる子どもによるプレゼンテーションがグランプリである「環境大臣賞」を受賞する。

2012年

 厚真町教育委員会が主催する「放課後子ども教室」開始に立ち会い、NPO法人ねおすからのディレクター派遣とそのフォローが始まる。
 苫小牧市内および市外の小中学校向けの自然体験プログラム提供依頼が増えてくる。また、苫東・和みの森を活用した森林整備プログラムの開発が進む。

2011年

 苫小牧市内に事務所を移動する。東日本大震災の時は、事務所を北海道内のボランティアが物資をデポしたり逗留するための拠点として提供する。
 福島第一原発事故による子どもへの影響を軽減するための活動「ふくしまキッズ」の北海道受け入れ総括責任者として年間500人以上の子ども達の受け入れ体制を構築する。
 それにあわせて「むかわ町交流人口推進穂別協議会」の設立を支援する。

2010年

 登別駅前に事務所を移動し、苫小牧市体育協会との恊働事業の開始等、徐々に広範囲での活動が展開できる体制を整える。
 「苫東・和みの森運営協議会」を設立させ、その事務局を担う。コープさっぽろ「未来の森づくり基金」の採択を受け、苫東・和みの森に作業用コンテナを作成し、設置する。また、コープさっぽろ「トドックBDF車パレード」によるギネス記録認定に協力する。

2009年

 苫小牧市東部地区(苫東)で開催された第58回全国植樹祭の跡地利用を考える推進委員会に関わり、「和みの森基本構想」を策定し、北海道へ政策提言を行う。
 国立青少年教育振興機構の発行する「学校で自然体験を進めるために」を執筆したり、大樹町の子どものための自然体験活動プログラムの作成業務を受託するなど、これまでの活動が各方面へとノウハウ移転がなされるようになる。

2008年

 登別市の亀田公園内に事務所を移動。
 企業内起業という形で「いぶり自然学校」としての活動をスタート。
 登別市より雇用創出推進事業「アウトドアガイド養成講習」を受託し、北海道アウトドアガイド制度(自然ガイド)のカリキュラムにあわせた講習を展開する。
 ひかりの国幼稚園における正課の保育講師として活動をはじめる。
 また、農林水産省が推進する「子ども農山漁村交流プロジェクト」の北海道ブロックコーディネートの一端を担い、「田舎で働き隊!」のフォローが始まる。

2007年

 いぶり自然学校の前身である「NPO法人ねおす登別事務所」開設
 登別市ネイチャーセンターふぉれすと鉱山内に事務所を構え、ふぉれすと鉱山の活動を手伝いつつ「イエティくらぶ登別校」や苫小牧市の「学校法人原学園ひかりの国幼稚園」での森のようちえん「森っこクラブ」などを展開する。

いぶり自然学校関連事業

自然学校ネットワーク

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